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   戦争協力の毎日
おじいちゃん おじいちゃん 「昭和17年になると小学生にも航空少年団、海洋少年団が結成されてね。おじいちゃんは入れなかったけど、皆のあこがれだったんだ」
おばあちゃん おばあちゃん「でも、戦争が終わる1945年の3月には全部の学校の授業がなくなってね、おばあちゃんは小学校3年生だったけど、毎日働きにいくようになったの」
とう太くん とう太 「働くって何をしたの?」

第1回技能競錬中央大会参加の少年工 (C)梅本忠男・立命館大学国際平和ミュージアム
第1回技能競錬中央大会参加の少年工 (C)梅本忠男・立命館大学国際平和ミュージアム


おばあちゃん おばあちゃん 「低学年の子どもたちはジャガイモ掘りや麦刈りなどの農作業が多かったわね。
高学年になると、アルコールの原料になるどんぐり集めや、ガソリンの代用になる油を採るために松の根っこ堀りに行く子も多かったわ。
そのころは、今まで南の国々から手に入れていた物資が入らなくて、そういうものを石油のかわりにして戦争していたのよ」
おじいちゃん おじいちゃん「私は工場で働いたよ。あとは、家畜のエサを運んだ日もあったよ。毎日くたくただったよ。」
おばあちゃん
おばあちゃん「外国の言葉をつかってはいけないといわれて、『コスモス』は『秋草』というように日本語に変えられたの。花木草1万種類以上を日本語に変えたのよ」
はなちゃん
はな 「考えた人はスゴイね!」


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