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   戦争に関係する学校生活
おじいちゃん おじいちゃん「授業の内容も戦争に関係あるものがどんどん多くなっていったんだよ。
理科の実験で、卵のカラでせんすい艦を作ったり、音楽の時間には戦時少年国民歌謡というのを唱ったんだよ」
はなちゃん はな 「どんな歌なの?」
おじいちゃん おじいちゃん「『昭和の子供』とか『兵隊さんよありがとう』『出でよ少年航空兵』『欲しがりません 勝つまでは』とかたくさんあったけど、おじいちゃんが覚えているのは『勝ち抜く僕ら小国民』という曲でね。こんな勇ましい歌だったよ。」

 勝ち抜く僕ら 小国民
  天皇陛下のおんために 死ねと教えた父母の
   赤い心を受けついで 心に決死の白だすき
     かけて勇んで 突撃だ!

小国民戦時歌謡『勝ち抜く僕ら小国民』(詞:上村数馬)より

おばあちゃん おばあちゃん「そういえば習字の時間に書く文字も今と違って『東洋平和』とか『進軍』『決戦』など勇ましいのが多かったわね。」
おじいちゃん おじいちゃん「『教練』という授業時間があってね。元軍人さんが先生になって教えに来ていたよ。
たとえば『気をつけ』『休め』『右へならえ』『番号』『前へ進め』という号令にあわせて、軍人の基本的動作を練習したんだ。
ほかにも、声が届かないくらい離れた人と2本の旗を使って会話をする『手旗信号』もならったよ」
おばあちゃん おばあちゃん「女の子は敵兵がやってきたときに戦えるようにと、竹竿で『なぎなた』の練習をしたわ」
おじいちゃん おじいちゃん「男子は木刀を持って剣道の練習をしたよ。敵兵は鉄砲を持っているから木刀では戦えないけどね・・・。
国民皆泳といって、日本中の人が泳げるようになりなさい、といわれたんだよ。高学年になると海に行って1000メートルの遠泳をする学校もあったよ。おじいちゃんは泳ぎが得意だったんだ」
はなちゃん はな 「今の小学生と、学校で習うことがぜんぜん違うんだね」

国民学校高等科での薙刀体操(C)梅本忠男・立命館大学国際平和ミュージアム
国民学校高等科での薙刀体操 (C)梅本忠男・立命館大学国際平和ミュージアム

おじいちゃん おじいちゃん「高等小学校になると、昭和天皇の写真(ご真影)と、明治天皇が国民のめざす道として書かれた『教育勅語』、君が代、日の丸が何よりも大切だと学校で教えられたんだよ。
校庭には、校舎とは独立して建てられて、普段、御真影と教育勅語を保管しておく施設『奉安殿』があってね、その前を通るときは必ず最敬礼をすることになっていたんだよ」
おばあちゃん おばあちゃん「学校では1年に4回、たいせつな国の祝日があってね。 1月1日の新年、2月11日に紀元節(今は建国記念日)、4月29日の昭和天皇誕生日(今はみどりの日)、11月3日の明治天皇誕生日(今は文化の日)の4回なの。その日は学校の講堂にあつまって儀式があったのよ。
はなちゃん はな「どんな儀式だったの?」
おばあちゃん
その日は、ふだんとちがういい洋服を着て学校に行くの。 校門はきれいにそうじされて、門のところには日の丸が掲げられていたわ。講堂には天皇陛下の写真が飾られて、その前で真っ白い手袋をはめた校長先生が教育勅語を読むのよ。 教育勅語は4年生の修身の教科書の冒頭に書かれていて、5年生になると全員全文を暗記させられたの」
おじいちゃん おじいちゃん「朕(ちん)惟(おも)フ(う)ニ 我(わ)カ(が)皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 國(くに)ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ 德(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ
から始まる長い文なんだよ。意味はわからなかったけど、今でもおじいちゃんは全部いえるよ」
とう太くん とう太 「むずかしいね。小学生が覚えたなんて信じられない!」
おじいちゃん 「それと、儀式が終わった後に必ず紅白のおまんじゅうが配られたんだよ。甘いものはめったに食べられなかったからとても嬉しかったなぁ。」


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