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オレの介護奮戦記

野田明宏の「独身中年男、オレの介護奮戦記」

 

(3)一人っ子が介護する

 今回は、一人っ子が介護する、ということで書き記していく。というのも、私自身が一人っ子だからだ。

 私は昭和31年生まれ。50歳になった。この年齢で一人っ子というのは、私の友人・知人を見渡しても少ない。産めよ増やせよの時代ではなかったが、一人っ子であるということだけで"ひ弱""甘えん坊"のレッテルを貼られた幼少から思春期。

 一人っ子は、それだけで病だった。その証拠に、"一人っ子の育て方"なる本も多数出版されている。

 こういう下地があったから、明治の塊であった母方の祖母は私を厳しくしつけた。このしつけが正解であったか不正解であったかは私自身でも回答が出せないのだが、小・中学校の9カ年は皆勤だった。正しくは、祖母に叱咤激励され皆勤させられた。台風で、近所の小学生仲間が休みと決めつけても、祖母からは学校に行って先生にちゃんと聞いてこいと命令された。電話は、金持ちの家にしかなかった。風雨の下、泣き泣き学校に向かった。帰路は先生に送られた記憶がある。病気で休むなどというのは気合いが足りないと一蹴。

 高校時代、補欠ではあったけれど、小学生からの夢だった甲子園出場を果たした。

 「一人っ子なのに、よく頑張った」

 周囲の大人はこんな言葉で祝福してくれた。とにかく、一人っ子の呪縛から解放されることなど無かった。

 そして今。母の介護をしている。周囲は、未だに私を呪縛している。

 「野田さん。あなたは一人っ子だから気楽なのよ。なんでも一人で決められるでしょ。兄弟が多いと、それぞれがそれぞれの意見ばかりを主張してまとまらないのよ」

 私からすればお笑いぐさだが、確かに現実、両親の介護から兄弟関係に亀裂が走るということは珍しくない。

 一例を上げる。ある80歳を超した母親には5人の子がいる。1人は娘で長女になる。3男の嫁が私に嘆いた。

 「野田さん。世の中はうまくいかないですね。義母は今、特別養護老人ホームに入所してるんです。入所する少し前、家族会議を開いたんです。私は発言しました。

 『お義母さん、私に看させてください』って。するとね。長女が怒鳴りながら私に言うんです。『あなたはそれで満足かもしれないけれど、私の立場はどうなるのよ』。結局、その言葉で義母は入所させられることになったんです。私、週に1度、日曜日には必ず義母の所に出向くんです。でも、忍び足なんですよ。お義姉さんに知れたら大変だから」

 で、一人っ子が介護している私の場合。確かに、母の介護については私が全てを決める。誰に気兼ねする必要もない。とはいえ、それは誰にも相談できない、とも言える。そして、1人で全てを背負わなければならないのだ。

 私は昨年の4月、ヘルペスを患った。左背中から左脇腹。そこから左胸へと発疹が出、それに沿ってシビレルほどの神経痛が走った。ヘルペスというのは疲れがピークに達したときに現れると聞く。医師からは点滴治療を勧められた。となると入院。2週間。それはできない相談だった。母を誰が看るのか?入院は断り、薬を処方してもらった。

 夜、薄暗い蛍光灯の下、微熱を出しながら、神経痛と戦いながら母のオムツ交換をした。正直、誰か側にいて欲しかった。一人っ子。代打はいないのだ。

 ただし、もし私に妻なり姉妹がいたならば、私は介護そのものに目を向けなかっただろう。介護などというものはオンナの仕事と決めつけていたから。更には、愛おしい、という気持ちも生涯芽生えることはなかったはずだ。

 今現在、母は私から2メートルほど離れた布団の中で爆睡している。これを書き終え、母の額にキスし、母の側に敷いている私の寝床に入ることになる。

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