| モンゴルに旅した人は、日本人とモンゴル人の顔が驚くほど似ている、と口を揃えていいます。また、「モウコハン」や「文法の似た言語」など、日本とモンゴルは深いところで繋がっているかのようです。
モンゴル国はアジア大陸の中央部に位置し、北はロシア、南・東・西部は中国と国境を接する内陸国であり、国土全体が平均海抜1,580mと高原で、最低地点でも海抜552mあります。日本の約4倍という広大な国土に日本の約52分の1の250万の人々が暮らしています。
遊牧民であるモンゴル人は、世界の文明の発展にとって、二度にわたって大きな牽引力となりました。
一度目は2000年以上前のこと。アジア大陸に初めての遊牧民国家を建設・繁栄させ、「シルクロード」を保護して世界の交易ネットワークを拡大させました。
二度目は800年以上前にチンギス・ハーンが建設したモンゴル統一国家です。支配領土に網の目上に構築した馬による駅伝制度は、当時の最速の通信手段でした。
これにより、アジアとヨーロッパの関係はそれまでにない勢いで拡大活発化していきました。それまで見たことのなかった物品や、文化、新しい思想、生活の知恵など、あらゆるものがこの道を通じて活発に往来したのです。
1921年から社会主義国の道を選んだモンゴルでしたが、1992年に新憲法に移行し、現在は民主化の道を歩んでいます。
20以上の部族を含むモンゴル民族ですが、250万人のうち約100万人の人々が遊牧民として暮らしています。
今回はモンゴルのお年寄りの生活について駐日モンゴル国大使館のE・サラントゴスさんにお伺い致しました。
――モンゴルにはお年寄りは多いのですか?
現在は国中で元気なお年寄りが活躍しています。
しかし、これは近年のことで、私の祖父母の世代の平均寿命は45才から50才だったようです。ですから私自身も祖父母の記憶はほとんどありません。
1920年代の資料によると、当時のモンゴルの地に生活していた人はたったの60万人。しかもそのうちの約10万人は妻帯できない僧侶で、結婚していない成人女性が9万人以上いたそうです。そのため、モンゴル人は絶滅に瀕している、と研究者に言われたほどです。
しかし、モンゴルは、1921年から社会主義国の道を選びました。民主主義の国々とはあまり協調しないなど、あまり明るくない側面は確かにありましたが、その反面、全ての国民に文化、教育、医療の平等な体制を構築しました。
それにともなって健康、福祉や衛生面で革命的に進歩し、死亡率が減り、平均寿命も急激に伸びていきました。現在の人口も当時の60万人から250万人にまで増えています。
モンゴルは1991年に市場開放の道を経済と民主化を導入しましたが、これは社会主義のもたらした良い遺産といえるでしょう。
――定年制度はあるのでしょうか?
はい。女性は55才、男性は60才で定年を迎えます。ただし7人以上の子どもを産んだ女性は50才で定年になる優遇措置がとられています。
私の母は8人の子を産んでいますので、50才で定年を迎えました。ただし定年になっても自分の能力を生かして働きたい人はいます。
私の母は中学校の教師だったのですが、定年後、ある教養大学から講師として招かれました。

――お年寄りの立場についてお話ください。
モンゴルは大家族の家庭が多く、おじいさんやおばあさんの言うことはたいへん尊重されています。なんといっても、一番経験が豊かで生活の知恵を持っているのはお年寄りです。また、子どもたちが大きくなったのも全て育ててくれた両親のおかげですから、その意味からもとても大事にします。
他の国では恋の歌が多いようですが、モンゴルではお母さんの歌とか親に関する歌がとても多いですね。それも大事にされている一つの表れだと思います。
――お年寄りの生活について教えてください。
モンゴルは都会と地方では極端に生活が違いますので、大きく二つにわけて考えなければなりません。はじめに都会のお年寄りについてお話しします。
首都のウランバートルには、市場経済が進むにつれて都会に集まってきた人々が暮らしていますので、正式な数ではありませんが100万人くらいの人々が暮らしているのではないかと言われています。
モンゴルでは家族の絆はたいへん深い、と思います。
そのなかでお年寄りの役割ですが、たとえば、お婆さんが孫の面倒をみるのは当然のことだと考えられています。学生結婚がとても多いので、子どもが産まれた場合、その面倒をみるのもお婆さんの役割です。ですから孫にとって、祖父母は近くて大きな存在です。
私たちから見ると、日本の親は子どもたちが育つと独立させて、自分たちに責任を負わせているように見えます。これはとてもいいことだと思いますね。
モンゴルでは娘は「私の産んだ子どもを親が見てくれるのは当たりまえ」と考え、何も疑問をもちません。と同時に、親には甘える分、親に対しては優しいですね。年老いた親を世話することはごく当然のことだと考えられています。
モンゴルでは社会的弱者以外は「老人ホーム」には入りません。子どもがいる人はまず行きません。
子どもが親を老人ホームに入れると、その子どもは社会から親不孝だと思われ「悪い子どもだ」と言われます。年老いた親を家族がお世話をすることは、子どもたちの当然の義務ですから。
多くのお年寄りは、毎日とても忙しい生活を送っています。
例えば、私の母は8人の子どもがいます。娘の出産や孫の送り迎えや病気、母は困ったときにはいつでも、子どもたちの家に手助けに駆けつけてくれます。子どもたちにとっては不可欠な存在で、お母さんがいないと私たちの生活は、ある意味成り立たない。常に引っ張りだこです。
父の存在は、家族の象徴であり誇りです。お父さんがいれば私たち家族は元気でいられます。これはモンゴルどこでも同じだと思います。
モンゴルでは7月に「ナーダム」というお祭りがあります。年に一回、羊を丸ごと買って家族全員で食べるのですが、ちゃんとした美味しい羊を選べるのは父だけなんですね。父の経験は貴重であらゆる面で家族は頼りにしています。
日本ではお年寄りが海外旅行に出かける姿をよく見ます。モンゴルはそれほど豊かな国ではありませんから、海外旅行にいこうという余裕はあまりありません。でもたとえ余裕があったとしても、そのお金は自分のためではなく、家族や孫のために使うに違いありません。
――一般に兄弟が多いようですが、子どもの数は減っていかないのですか?
社会主義の時は児童手当がついたので、子どもは多い方がよかったのです。しかし、小中高学校の学費は無料ですが、今は大学の学費は有料になりました。有料でも質の良い教育を受けさせたいという親も増えてきました。
たとえば早くから私立学校に行かせるなど、教育にお金がかかるようになってきています。最近の若い人は、子どもを少なく産んで高い教育を受けさせようとだんだん考えて来ていますので、子どもの数は徐々に減っていますね。いずれ社会の形態は変わるかもしれません。

――それでは遊牧民のお年寄りはどのような生活をしているのでしょうか?
先ほども言いましたようにモンゴルでは約100万人が、家畜の世話をしながら移動しながら暮らしています。モンゴルには21の県があり、その中心部に定住し、学校や病院に働いている人も大勢いるのですが、その人達の中にも、夏になると遊牧民に戻る人もたくさんいます。
世界では、昔からの生活スタイルが大きく変わってきていると思いますが、モンゴルには、まだまだ伝統的な生活が残っているといえます。
それでも、最近は太陽電池を使ってテレビを見たり、川ではなく井戸水を使うなど生活に変化は見られますが、基本的には変化が起こっていない数少ない文明のひとつではないでしょうか。
モンゴルは近代の快適な生活に慣れた人には住みやすい土地ではないでしょう。厳しい大陸性気候で、夏は40度、冬はマイナス25から40度になるところもあります。長期間土壌が凍ったままなので野菜や果物の栽培には適していません。それでもモンゴルの人々はその大地を心から大切に思っています。
ここで暮らす人々は、衣類、食料、燃料、現金収入すべて家畜に依存します。
この厳しい環境で暮らすこと、家畜を育てること、すべて経験に基づいた知恵が必要ですから、何でも知っているお年寄りの存在はとても貴重です。
一家のなかでお父さんはやはり象徴的な存在であり、生活の中で伝えることを全部知っているアドバイザー的な存在です。
40年50年遊牧してきた経験から、どの草が家畜にとって一番にいいのか、自然との調和のはかり方はどのようにしたらいいのか教えてくれます。
当然、家族の中でもとても大事にされます。お父さんの座る席には他の人は座ってはいけない。お父さんの帽子や、使っている道具はだれでもさわっていいものではありません。この地位は、息子に受け継がれます。
息子は長男には限りません。例えば、長男が勉強が好きだったら、都会に行って働き現金収入を得ます。兄弟のなかでも、馬とか家畜が得意な人、勉強があまり好きではない息子が残ってお父さんの後を継ぎます。
子どもたちは、都会に行っても、どういう立場になっても、結婚しても親のことは一生面倒をみます。
お母さんはやはり生活していく上で必要なことをお嫁さんに伝えていきます。身体が弱くなったお年寄りは、家で孫の面倒をみたり、乳製品を作ったりして暮らします。モンゴルの草原では、時間はゆっくり流れます。大自然の営みに合わせて、そのなかで生きています。

――死んだ後はどのようになると考えられていますか?
モンゴルの宗教は、基本的にチベット仏教なかでもラマ教です。
亡くなると埋葬するのが普通ですが、最近は火葬の施設もできました。いろいろな考え方がありますが、亡くなったら仏様になると考えます。
人が亡くなった時は、あまり泣かないほうがいいと言われます。周囲があまり泣くと涙が川になってしまってその川を渡って天国に行けなくなると言います。
お寺に行ってお経をあげてもらったりしますが、それは日本の仏教と同じではないでしょうか。
生前良い人だったらまた人間として生まれ変わるが、悪い人は豚などに産まれかわる、とも言われます。ですから人によっては、また人間に産まれてくるのかどうか、お坊さんに見てもらうこともあります。
ときには、亡くなった人の身体の一部に墨で印をつけることもあります。生まれ変わった時に、本人を見極められるようにとの願いからです。
ですから、生まれてきた子の身体に、亡くなった人につけた印と同じ位置にあざがあったりすると、生まれ変わりではないかと思われます。また、亡くなってすぐに産まれてきた子がいると生まれ変わりではないかとも言われますね。
死ぬことは哀しいことですが、とくに「自殺」はモンゴルではあまり聞きません。日本には「ハラキリ」のように自殺の伝統があって、たとえ自殺しても社会から理解されるようです。しかし、モンゴルでは、残された家庭に不孝がふりかかると思われほとんどありません。
社会主義国になる前までは信仰心は厚かったようです。しかし信仰心はイデオロギーにとって変わりました。ですから仏教を信じるのは、イデオロギーの影響を受けなかった年寄りか、また市場経済になってから教育を受けた若い人ですね。近年、仏教が回復してきています。
――お年寄りに関係することわざがありましたら教えて下さい。
日本には「蛙の子は蛙」という諺がありますね。モンゴルでは「馬の子は馬」といいます。子どもは親と同じように育つ、親の才能や考え方は引き継がれる、と考えられています。
モンゴルでは、親子のような血がつながっていることを大変重視します。ですから何があっても家族がお互いに守り合い、助け合いながら生きています。
反面、血が繋がっていない人はあまり信じないことにもなりかねません。ですから、政治レベル、ビジネスレベルで考えると、親族を重用したり癒着に繋がりやすいというマイナス面にもなります。
――本日はモンゴルのお年寄りの暮らしぶりの一端を伺わせて頂きました。大自然の中で生きるお年寄りには、大地と共に暮らす知恵がたくさん詰まっているかと思います。機会がございましたらまたお話をお聞かせください。本日は大変ありがとうございました。
(2005年9月掲載)

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