オヤジが再入院して3カ月。
時間を作って、病院内の医療福祉相談室に相談に行く。どの家庭も同じなんだろう、と思う。ある日突然家族の誰かが倒れたら、当然パニックである。
「どーしたらいいのかわからない!」わからないけれど結論を出さねばいけない。
在宅介護ができる、できないを即答できる人がいるだろうか?難しい問題の結論を出すのは、誰だって嫌だ。精神的な苦痛でもある。しかも答えは一つじゃない。だから相談室で「在宅介護が出来るかどーかわからないんですが、どうしましょう?」などと聞くのだが、これでは聞かれた人も答えられない。
相談員は、セラピストじゃない。医療福祉相談室は、私の悩みを相談する場所ではないのだ。
まず私は、在宅介護が出来ない場合をたずねた。介護保健施設と、療養型病床群(いわゆる老人病院)があることをはじめて知る。そこで介護保険施設を利用したい場合、どうしたらいいのかを訊ねたら、「介護保健施設は医療保険ではないので、直接施設に相談して下さい」で話が終わった。時は介護保険制度導入の半年前。いわゆる端境(はざかい)期で、今の私の目から見ると、福祉の現場もどう動いて良いのかわからない…そんな時期だったのだろう。
私は食い下がった。
「介護保健施設の情報をお持ちなら教えていただきたい!」と。
何も知らない人間に、施設に直接相談しろ、と言われても…。
その施設は東京にいくつあるのか?
私の住んでいる区にもあるのか?
それを教えてこその相談室だろ!と思ったのだ。
介護とは不思議なモノで、頭の隅には常に「これからどーする?」と不安を抱えながらも、病院通いと自分の仕事をこなしていくうちに、生活の一部になってしまう。介護する側の私も、だんだんと腹が据わってきた。周囲に言われたとおり、右往左往を繰り返し、その結果このままでは一歩も前には進めない、そんなこともだんだんわかってきたのだろう。
保険点数が下がるから3カ月で出ていけと言われたって(実際にはそんなこと誰も言わないが)、アタシにも都合があるんだよっ!情報集めの時間稼ぎに、この病院にいられるだけいてやるぅ~。
生活は目の回る忙しさだった。病院通いとオヤジの寝巻きの洗濯、週刊誌での連載と、月刊誌レギュラーの仕事。そして病院、施設探し。在宅介護方法の勉強。体はくたくただったが、心は前より元気になった。オヤジは一人で外を歩き回れる健常者ではないのだと、私が理解したからだ。
本人も家族も現実を受け入れ、認めるというのはつらいし、本当は時間のかかるものなのだ。現実を冷静に直視すれば、導尿チューブがついて、胃ろうチューブも付いている老人が、介護能力のない妻と、今にも壊れそうな古い家で暮らしていけるはずがない。それでも私は、まだどこかで在宅介護を夢見ていて、
「なにかいい方法があるのではないか?」
と、もがいていた。もがきながらも現実を受け入れはじめた。そんな頃だったと思う。
「介護」たった二文字のこの言葉には、家族のあり方や、愛情、お金、時間が複雑にからみついている。私は自分の親のこれからの人生を決めてしまうのが恐かった。それは今でも恐い…。その恐さゆえなのだろうか?私は、病院、施設探しをがんばった。
そう、介護にがんばりは必要だ。骨休めはあっても、がんばらない介護なんてあり得ない。
私は知っている。介護する人もされる人も、みんながんばっていることを。
私は知っている。私だけじゃないことを。
私は知っている。がんばりたくなくても、がんばるしかないことも。
介護は人生の一部。人は人生を与えられたら、その人なりにがんばって生きていくものなのだ。病院・施設、と言う環境は私が決めるが、その中で生きていくのはオヤジ。オヤジの人生なのだ。
体のよい言い訳のようにも聞こえるが、そう考えることにした。親が子供の保育園や、幼稚園を決めるのと同じだ!そう思うことで、私の重く沈んだ心が、少しでも軽くなるなら、それで良いじゃないか。人は自分の心がおぼれたら、自分ですくい上げるしかないのだ。
自分の心を鼓舞しつつ、私は病院・施設探しの旅を続けた。
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