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―――まず始めにエジプトの福祉政策の移り変わりについて 教えてください
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カイロ市郊外にそびえ立つギザのピラミッド |
エジプトはアフリカ諸国の中で最大の経済規模を誇る国のひとつであるとともに、イスラーム世界の文化的中心としての自負をもつ国です。近代化への取り組みも早く、西洋風の福祉制度の導入は日本に先んじて、イギリスなどに学びながら19世紀半ばにはすでに着手されていました。
その後1952年にエジプトは共和制に移行し、ナーセル大統領の主導するアラブ社会主義のもとに平等と発展を旨として、さらに福祉制度の充実を図りました。それから1976年にかけての期間に、国民一人あたりの保険関連公共支出は約500%の増加になり、乳児死亡率は急速に低下し、平均寿命は年々伸びています。初等教育の普及も順調であり、識字率も飛躍的に向上してきました。
ナーセル大統領の死後、サーダート大統領、ムバーラク大統領と政権は代わり、経済面では競争原理の導入が促進されていますが、福祉政策は共和制の精神の要として、今日にいたるまで基本的に引き継がれています。
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―――問題はないのでしょうか。
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ベドウィンのお年寄り |
長期的に見れば、福祉制度が前進しているのは間違いのないところですが、課題は山積しており、新たな問題も生じているというのが現実です。
たとえば、ナイル川流域の農村部では、今でも多くの人々が生活用水をこの有名な大河に頼っており、国民病ともいえる住血吸虫による疾病蔓延への対処が急務となっています。その一方で、砂漠地域では電気の供給もなく、上水道も整備されていない地域もまだまだ残っています。
乳児死亡率に関しても、低下したとはいえ、いまだにエジプト人の死亡原因の一位を占めています。識字率も15歳以上で約55%にとどまっていますが、これは一つには、アラビア語の書き言葉が7世紀から安定しており、現在の話し言葉と大きく異なることによっています。読み書きのためには、普段話しているのとはかなり異なる文法や語彙を習得しなくてはならないわけで、このことが識字能力の獲得を妨げる要因になっています。
さらに、衛生面の向上によって乳児死亡率が低下しながら、宗教上の理由などから産児制限が進まないために、全般に人口過剰が目立つことが新しい問題を生み出しています。砂漠地域では、定住化による遊牧民の衛生条件劣悪化が起こっていますが、何より重大なのは、急速な人口集中によって、都市部の教育、雇用、環境などが深刻な問題となっていることです。教育面では、学校の数が足りないために、小学校の修学年限を6年から5年に減らしたり、午前と午後の2部制を学校が採用したりしています。こうした問題に対応するために、「住宅・公共設備・都市共同体省」の設立という機構改革も最近ありました。

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―――福祉を担当する政府機関はどこですか?
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いくつかありますが、「保険・人口問題省」と「社会問題・社会保険省」がとくに重要です。
「保険・人口問題省」は、日本では以前の厚生省にあたります。疾病・出産などの健康保険業務、公的診療所の建設と維持、産児制限の奨励などを行っています。「社会問題・社会保険省」は、日本でいえば以前の労働省の仕事の一部を担当しており、各種の公的扶助を提供するとともに、老齢、障害者、遺族、労災、雇用などについて、社会保険・年金業務を行います。
このような福祉制度は都市部では個別に機能しますが、人材の不足もあって、村落部にいくと複合し、いってみれば「村役場」が何でもこなすということもしばしばです。ただ、教育や医療など専門性の高い分野については、都市部出身者を派遣せざるをえない状況がこれまでありました。以前はそうして外からやってきた教師や医師が、地元に溶け込めずにおたがいに苦労することも多かったのですが、教育の普及に伴って地元の出身者がふえ、コミュニケーションがうまく行くようになってきました。
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―――ところで、平均寿命が66.5歳ということですが、 町や村にはお年よりは少ないのでしょうか?
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老齢人口比率(3.5%)は、日本の18.5%(2002年)に比べれば相当に低いわけですが、実感としては町でも村でも、けっこう高齢の方をたくさん見かけます。これは一つには、日本人の方が年齢に比して若々しいためもあるでしょう。実際、携帯が義務づけられている身分証に書かれた年齢を見て、一見したときの印象に比べてずいぶん若いのにびっくりすることがあります。もっとも、身分証発行が組織的に行われるようになったのは、1952年以降ですので、お年寄りの中には年齢のあやふやな人もいて、120歳だとか平気でいわれる場合もあります…(笑)。
高齢者の仕事と収入についていえば、公務員などには定年退職はありますが、元気なうちはずっと働く人が大半です。エジプトでは、お給料だけでは暮らしが楽ではないので副業をもっている人がほとんどで、この状況は老後も続きます。年金自体は普及しており、60歳になればかなり確実に受け取ることができますが、2001年の一人あたり年金受給額は1,900ポンド(約34万円)ほどで、同じ年の一人あたりの国民所得が約8,700ポンド(約156万円)であることを考えると、決して充分とはいえません。自身が働いたり、成人した子どもを頼りにしたりしなくてはならないのが現状です。
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―――お年よりの社会的な位置づけは高いのでしょうか?
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カイロの不法占拠地域に
暮らす少女たち |
はい、お年よりはとても大切にされているといってよいでしょう。そうした伝統が今も息づいているのには、イスラームなどの宗教も一役買っています。イスラームはもともと相互扶助に積極的な宗教であり、年長者への敬意も強調しています。この点は少数派であるエジプトのキリスト教でも同様です。
その根底には、中東の諸宗教が、個人の信仰だけではなく、信徒の共同体の存在をとても大切にしていることがあります。イスラームの場合、ムスリムの義務である五行のなかにザカー(喜捨)がありますが、これは財産の一定の割合を差し出して、仲間のムスリムの役に立ててもらうという定めです。現在ではザカーの徴収は組織的には行われていませんが、路上でのちょっとした施しからいろいろな団体へのまとまった寄付まで、ザカーの精神は生きています。
イスラームはまた、結婚して子をなし、労働して社会に貢献することを強く信徒に勧めます。家族の団結は、宗教の力も得てきわめて強いものがあります。
エジプトでは結婚して子どもを産んでも、一族が一緒に暮らすことが好まれます。親子や兄弟が一緒に暮らすのはごく当然のことで、親の死後も兄弟の収入を合算して、一つの世帯として暮らすことがしばしば見られます。大家族で食事も一緒、子育ても一緒。その中で息子たちはお父さんを死ぬまで家長として立てますし、お母さんをそれは大切にします。政府のサービスが足りなくても、お年寄りを助ける子どもたち、お嫁さんたち、孫たちの手があり、大家族のなかでおたがいの負担を小さくしてケアをする仕組みがそこにはあります。イスラーム法を反映して、エジプトでは一夫多妻を認めていますから、連れ合いが高齢であっても、若いお嫁さんがケアしてくれるという、日本では見られないケースもあります。
この状況では、お年寄りが不自由するのは子どもがいない人になります。とくに女性は息子がいないと、夫の死後実家に返されることもあって、もちろん戻り先に受け入れてはもらえますが、なかなかに寂しい思いをするようです。それでも、親族間の絆が強く、日本人から見ると遠い親戚とも思えないような人が快く助け合いの手をさしのべてくれることもあって、本当に身の寄る辺をなくして困ってしまうということはまれです。遊牧民などでは、そうした親族の範囲がたいへんに広く、ときとしては数百人、数千人におよび、顔役の男たちが、お年寄りを含め一族の安寧にさまざまな配慮をしています。

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―――宗教と血縁が一番なのでしょうか。
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特定の要素だけが際だって大切だと考えることはできません。もちろん、地縁も重要な関係です。同じ村に住む人々の間には相互扶助の関係が成り立っていますし、都市部では細い袋小路の両側に沿って居並ぶ家々の人々が一つの共同体を構成して、同じように助けあってきました。この他にも古くからある同業集団などの人々もおたがいに助けあっています。
エジプトについて考えるとき、よいことも悪いこともイスラームなどの宗教のせいにする人がときどきいますが、エジプトの福祉がイスラームだけに則っているわけではもちろんありません。宗教と深く関わりながら、それぞれの時代にあわせ、地域の伝統と溶け合いながら、人々の知恵が多彩な相互扶助のあり方を生み出してきたのであって、それは日本と何ら異なりません。地縁や血縁、宗教、その他の相互扶助が、少しずつずれながら幾重にも重ね合わされ、広範囲にわたるネットワークをひろげているのです。
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―――高齢者福祉の今後の見通しを教えてください。
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ナセル湖畔にたたずむアブシンベル大神殿 |
アラビア語で「福祉」に対応する言葉として用いられるのは「ラファール」「ハイル」「サーリフ」などで、それぞれ「快適さ」「良好さ」「正しさ」という意味です。もともと「福祉」という言葉はありませんでした。つまり以前には、ことさらに福祉という概念を持ち出すまでもなく、ある程度まで目的が達成される伝統があったわけです。現在でもお年寄りが社会の相互扶助の中で大切にされているエジプトでは、むしろ全般的な貧困の解消の方が緊急の課題です。それこそが結果としては、お年寄りに対する福祉の向上にもつながるはずです。
また、エジプト政府が推し進める福祉政策は最近まで、エジプトの人々が長らく培ってきた相互扶助の伝統と切り離されており、そのことが肝心の目的達成の障害となってきたことに、政府もようやく気づいたようです。たとえば、外からやってくる西洋医学を身につけた医師が、地域の方言も習慣も無視するために村に受け入れられず、村にいる伝統的な呪医や助産婦がよい腕前をもちながら、政府によって否定されて力を発揮できず、両者の間に無用の軋轢が生じるといった状況がかつてはありました。そこで、呪医や助産婦を補助員として扱い、地元の潜在力を生かす政策がとられ始めており、これはかなり有望な取り組みと思われます。
エジプトをはじめとするアジアやアフリカの「福祉」は、遅れたものとして扱われることがしばしばですが、そうした考え方の背景にある、近代以前には社会福祉がなかったというような理解は誤っています。無理なく相互扶助を支える伝統が崩れてきたからこそ、新しい制度が必要となってきたという側面もあるのです。その点からいえば、私たちはアジアやアフリカの「福祉」に学ぶこともできますし、私たち自身の社会の伝統を担ってきたお年寄りたちからもまたおおいに学ぶことができるはずです。
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